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2025年5月27日
三原郷歴史探求会(第5回)(里見義頼の外交と正木氏との関係について)開催しました。
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第5回 三原郷歴史探求会

5月18日に和田コミュニティーセンターで、「第5回三原郷歴史探求会」を開催し、元館山市立博物館長の岡田晃司氏が「里見義頼の外交と正木氏との関係について」をテーマに講演、51人が耳を傾けた。
この日は、岡本里見義頼、佐貫里見梅王丸、小田喜正木憲時、勝浦正木頼忠という若き房総の武将たちが活動し、戦国時代が大きく変わっていった「天正」という過渡期を背景に、里見義頼の家督相続と天正の内乱・義頼の外交・義頼の経済政策について講じた。
義頼の家督相続と天正の内乱では、1572年(元亀3年)鶴ケ谷八幡宮修造に係る里見義弘の棟札から義頼と梅王丸の家督相続問題、そして天正の内乱(梅王丸派の掃討、小田喜正木憲時の乱)へと至った状況についてを、里見義頼の外交では、関東を含め天下を意識した様々な情報収集に基づいた外交を行い、北条氏とは勝浦正木頼忠がパイプ役として大きな役割を果たし、平和関係を継続した。
義頼の経済政策では、東京湾の平和を維持しながら交易を重視、本城岡本城の支城だった館山城、館山湾を流通の拠点にした交易経済政策を展開したことを丁寧に説明した。
参加者からは、
天下人の時代へと大きく変わる過渡期が良く解った。
また、経済交易圏として見たときの、里見、正木連合の歴史はもっと知られて良いのではないか。
里見家当主系図で、義頼は何代目かと質問もあり、捉え方もあるが研究の深化もあり、里見10代と捉え、6代義弘、里見家の印判を継承した梅王丸を7代、8代義頼としているが何を成したかが重要との説明に、わかり易かったとの感想が聞かれた。

【投稿者 歴史の郷へ応援団三原 tamachan.s@icloud.com
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