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富浦エコミューゼ研究会 ニュース

2010年2月23日
210回ウォッチング 丸山・石堂寺と青岳尼
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旧尾形家の前で、紙芝居・青岳尼物語を上演しました

2月のウォッチングは、波瀾の人生をおくった里見義弘の正室・青岳尼と由縁のある丸山の石堂寺を訪ねました。
この日は、庫裏からお邪魔し、住職さんから丁寧に説明を受けました。比叡山での厳しい修行のお話なども聞くことができました。
石堂寺は1300年も前、奈良時代、神亀3年(726年)に行基上人が開創(寺院を創設すること)したという、とても歴史のあるお寺です。
平安時代の仁寿元年(851年)には、慈覚大師円仁様が七堂伽藍(しちどうがらん・山門や本堂、講堂、塔などのお寺の諸設備)を建設しましたが、不幸なことに夜盗により全山を焼失してしまったそうです。それが室町時代の文明18年(1486年)の出来事だそうで、その後50年間、再建に努力し、ほぼ現在の姿になったそうです。つまり、約500年前にタイムスリップできる空間が、こんな近くにあるのです。
そんな石堂寺は、国指定の重要文化財がたくさん残っています。本堂、本堂厨子、多宝塔、薬師堂。他にも江戸時代に建築された民家・旧尾形家や波の伊八こと江戸時代の名彫刻師、初代・武志伊八の作品も残されています。

また、石堂寺は、室町時代から時の将軍・足利氏との関係も深く、国府台(今の市川市)の合戦で破れた足利義明は子どもらを連れて安房の国に逃れました。子ども達は里見氏の保護を受け、石堂寺で成長したという事ですが、その時の子どもの一人が青岳尼だったそうです。きっと、このときに青岳尼と里見義弘の出会いがあったのではないでしょうか。
やがて、青岳尼は鎌倉に連れ去られ、太平寺というお寺で住職をしていましたが、里見義弘が北条氏に攻め入ったときに、青岳尼を連れ戻し正室としたそうです。
石堂寺と青岳尼。そして里見氏とのつながり。あらためて500年も前の建築物の前で、彼ら達が過ごしてきた歴史を思うと、とても深いものを感じてしまいます。
旧尾形家の前に広がる梅林が、春の気配を感じさせてくれる2月のウォッチングでした。

3月のウォッチングは13日。大房で春の野草を食して楽しみます。

【投稿者 富浦エコミューゼ研究会
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