トップページ > ニュース > 富浦エコミューゼ研究会 > №289ウォッチング大房歴史探訪・信仰と戦争

富浦エコミューゼ研究会 ニュース

2016年9月12日
№289ウォッチング大房歴史探訪・信仰と戦争
拡大写真
鏡ケ浦が一望できる園地は心を癒します
拡大写真
慈覚大師の話を題材にした紙芝居を聞く参加者
拡大写真
砲台前でガイドの話を聞く

9月のウォッチングは、富浦・大房岬の「信仰と戦争」の歴史を探訪しました。
大房岬の歴史探訪は、信仰の場所からスタート。駐車場から海岸へ降りると、不動滝のある芝生園地へ出ます。記録に残る大房の歴史は奈良時代からでそうで、「大武佐不動縁起」に記されています。
縁起によると、修験道の開祖・役小角(えんのおずぬ)が大房岬に来て不動明王像を安置したしたとされています。それから150年後、慈覚大師が竜善院(たつぜんいん)を建立しました。
時はさらに250年過ぎ、安房の守に任ぜられた源親元(みなもとちかもと)が国司として着任。このとき、家臣が長旅により病死したのを悲しみ、竜善院で一昼夜祈り続けると、家臣は生き返ったという話が残っています。親元はお不動様の信仰を深め、大房岬に本堂をはじめ、薬師堂や鐘楼など七堂を建立したと伝わります。
里見義実も結城の合戦に敗れ、安房に落ち延びてきたときに、大房のお不動様に武運を祈願したと縁起に書かれているそうです。
参加者は、ガイドの話と紙芝居を真剣に耳を傾けています。
秋の気配を感じさせる空は心なしか高く感じます。海岸そばの芝生の園地にはトンボ達がたくさん飛んでいます。
竜善院があったという第2キャンプ場を後にし、幕末時代の砲台跡(台場)を見ながら運動広場へ。大房岬は第二次世界大戦時に要塞と化しました。参加者は当時設置された砲台跡の前で話を聞きます。その砲台は巡洋艦「鞍馬」か「伊吹」の副砲が据えられたそうです。すぐそばには弾薬庫の跡もそのまま残っています。
参加者はすがすがしい秋の青空の下、大房岬の歴史をゆっくりと体感しました。

【投稿者 富浦エコミューゼ研究会
▲ページの先頭に戻る