21年7月18日
江戸時代の大井里山での炭の歴史
 今、取り組んでいる「チクチク大作戦」には江戸時代に偉大なる大先輩たちがいました。千葉工大との協働研究の大井の古文書・古地図の中からそれがわかってきました。当時の大井は柱木牧と嶺岡牧に囲まれ、いくつかの木戸を通じて出入りする地域でした。幕府の嶺岡牧経営の一環として牧内のクヌギ・ナラを伐採して炭にする方針が出されたのは1800年頃です。この炭作りは地元に現金収入をもたらしただけでなく、管理されて伐採した林には野草が茂り、木の根からは新芽が出て、馬・牛の格好の餌場となりました。更には暑さ・寒さを防ぐ憩いの場となったのです。当時の江戸は現在では世界からも注目されるほどのエコロジカルな都市でした。そこに大井や嶺岡からの炭も使用されていたのです。生産された炭は木戸からの山道を馬や背負子で集積場である富山の天神社へ、そして高崎港から船で江戸・深川に運搬されたのです。大井には、炭で学費を稼ぎ、江戸で医学を学んだ先輩たちもいます。炭を積んだ船からは当時の最先端軍艦の「安宅丸」も見えたはずです。(2年前に大井青空クラブで模擬船に乗船したのも何かの縁でしょうか?)大井の歴史を学ぶことで「チクチク大作戦」の意義がよりいっそう鮮明になりました。

【大井里山保全協議会】

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